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写真があるのに写真みたいな絵は必要?

「すごい!写真みたい!」

そんな感嘆の声が聞こえることがあります。写真かと思ったら実は絵で描いていました!というような映像をみたときです。

そんな声を聞くと、それは最初から写真ではダメなの?と思ってしまいます。

今回はそんな素朴な疑問について考えました。

まずこの「写真みたい!」という言葉には、陸上のオリンピック選手が人間とは思えないほどの速さで走るような驚きに似ています。

では、目的地まで一番早く着くためには?ということとなれば、それはいかにオリンピック選手が速いとはいえ、車や飛行機にはかないませんので、無理せず車や飛行機に乗ります。

つまり、目的は何か?ということです。それは、手だけを使って正確に描くことが目的なのか、その絵を作ることが目的なのか、ということです。競技としての絵画なら、意味もあるかもしれませんが、より良い絵を作るということであれば、どのような手段であっても観る側からすると関係ないわけです。料理に例えるなら、美味しい料理が食べたいという人は、「この料理は機械を使わずに手作業だけで作りました」ということはどうでもいい訳です。手作業の方が美味しくなるから手作業に徹しましたというならわかりますが、美味しくなるかどうかは別として手作業で作りましたすごいですよねというのは意味がないわけです。

写真がなかった時代には、写真以外の方法で現実を正確に描写する必要があり、それが絵画の重要な役割の一つでした。現代では自撮りをパチリとスマホで撮ることができますが、当時はそういうわけにはいきません。多くの画家は肖像画を描くことで、収入を得ていました。

ですが写真が発明されてからは、写真と同じものをわざわざ時間をかけて作る必要がなくなってしまいました。事実、写真が発明された当時、一部の画家は写真家に転向したほどです。

誤解を恐れずに言えば「写真みたい」な絵は効率が悪いだけなのです。
では絵画には何が必要でしょうか。それは「写真よりも緻密でリアルな絵」もありますし、「現実の風景とは思えない不思議な絵」もあります。また、写真では困難な理想的なポーズや状況を作ることも可能でしょう。例えば生き物図鑑のイラストでは、写真ではわかりにくい細かい部分やからだの作りをわかりやすく表現できます。

つまり「写真みたい」なだけでは意味がないわけです。

芸術的な絵=下手な絵?

芸術的という言葉が度々、下手くそな絵を揶揄するような使われ方をされますが、下手な絵だからといって芸術的とは限りません。下手なだけの下手な絵もあります。絶妙な味付けの変わった料理と、まずいだけの料理は違うわけです。そして逆に写真のようにリアルな絵だからといって芸術的ではないとも限りません。リアルかどうか、と芸術的かどうかに相関性はないのです。(ここで言う「リアル」とは表面的な形状の正確さのことを言います。)

では正確な形を描くことに意味がないのかと言うとそうではありません。正確な形が描けた方が、正確に思い通りに崩した形を描けますし、また、あらゆるものに潜む美しさは、正確な描写力によって見つけ出すことができます。それはそれで大変意味のあることです。

冒頭の絵画はフェルメールの「絵画芸術」という作品です。フェルメールは、「カメラ・オブ・スキュラ」というカメラの技術の原型となった現象を参考にして絵を描いたと言われています。結局、写真と絵画に違いはなくて、一つの表現手法でしかないのです。どれが必要であるか不要であるかではなく、良い絵を作るためには写真であろうが絵画であろうがCGであろうが関係ないのではないでしょうか。

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トキトマデザインの代表です。デザイナー兼 WEBサイト運営 兼 バイヤー。現代美術とデザインと釜玉うどんが好き
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