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美術やデザインは、生きるために本当に必要なのか。

私が美術を志していた若い頃の話です。美術やデザインは、あるいは音楽を含めた芸術は、医療や科学技術と違い生きるためには必要なことではなく、「余分なこと」ではないのか?という疑問がふと沸いたことがありました。

美術が世の中になくても生きていける、自分がやっていることに本当に価値があるのか、そう漠然と考えるようになっていました。

そんな悶々とした考えを抱きながら、ある日、私は京都に旅行に出かけ龍安寺の石庭を訪れました。

龍安寺の石庭は、石と砂でできた山水の風景を表現した日本古来の庭園様式(枯山水)であり、その石の形と配置から「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」など様々な呼び名があります。あるいは禅の五山の象徴とも、心の字の配置とも言われています。(冒頭の写真が龍安寺の石庭の一部です。)

星座に名前を与えるように人々は様々な「意味」を考えるのですが、いつまでたっても答えはでません。作者の意図など知る術はなく、ただそこに、美しい空間があるだけです。

そうか、意味は必要ないのだ。私はそう思いました。人は何か自分の理解が及ばないものに直面すると、どういう意味なのか今までの経験や知識で推し量ろうとします。そして何かの型にはめて安心しようとします。ですが、本当に理解したということではありません。ただ自分が安心できる言葉に置き換えて納得したというだけです。

大事なのは、そこに美しい石庭があり、人々の心を打つということであり、それがどんな意味であるかはどうでもいいことなのです。

「美術の意味はなんだろう」と考えていた私でしたが、人が美術によって心を打たれ、より豊かな気持ちになるのであればそれは必要なことなんだと、龍安寺の石庭をみてそう感じたのです。

そして生きるということは、生存する、呼吸をするということだけではなく、季節の移り変わりを感じたり、風のにおいや沈む夕陽、美味しいご飯を食べること、あるいは歌を歌い、そして美術にふれて感動すること、これらすべてが生きるということではないのかと思ったのでした。

つまり美術やデザインのように「余分なこと」こそが生きることなのだと、そう考えるようになったのです。

写真撮影:TOKITOMA DESIGN

《参考URL》
龍安寺:作庭の謎
<http://www.ryoanji.jp/smph/garden/making.html>
(アクセス日:2017/10/3)

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トキトマデザインの代表です。デザイナー兼 WEBサイト運営 兼 バイヤー。現代美術とデザインと釜玉うどんが好き
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