江戸時代の食いしん坊たち!将軍も愛したファストフードと大食い大会の記録

江戸時代と聞くと、お米とお漬物だけの質素な食生活をイメージされるかもしれません。しかし、実際の江戸は世界でも類を見ないほど豊かなグルメ都市でした。当時の人々は現代の私たち以上に、あるいはそれ以上に「美味しいもの」への飽くなき情熱を燃やす食いしん坊たちだったのです。今回は、そんな江戸の人々が繰り広げた、驚きとユーモアに満ちた食のエピソードをご紹介します。
初鰹にかける江戸っ子の異常な情熱
初夏の訪れを告げる「初鰹」に対し、江戸っ子が注いだ執着はまさに異常とも言えるレベルでした。「女房を質に入れても初鰹」という言葉が象徴するように、借金をしてでも食べようとする凄まじい熱量があったのです。
その狂騒ぶりは、歴史的な記録からも見て取れます。文化9年(1812年)の記録『壬申掌記(じんしんしょうき)』によれば、歌舞伎役者の三代目中村歌右衛門が、なんと1本3両(現在の価値で10万〜30万円相当)という破格の値段で初鰹を購入し、大部屋の役者たちに振る舞ったといいます。時の権力者や豪商たちがこぞって競り落としたために価格は跳ね上がりましたが、それでも「一口だけでも味わいたい」と、長屋の庶民たちが金を出し合って共同で購入することもありました。江戸っ子にとって初鰹を食すことは、単なる味覚の楽しみを超え、流行の最先端をゆく最高のステータスだったのです。
将軍も庶民も夢中になった屋台のファストフード
単身赴任の男性が多く暮らしていた江戸の町では、外食産業が驚くべき発展を遂げました。現代のファストフードのルーツとも言える「お寿司」「天ぷら」「おそば」は、その代表格です。これらは主に屋台で立ち食いするスタイルで、せっかちな江戸っ子たちは、サッと食べて小気味よく仕事に戻る姿を「粋」だと考えていました。
中でも天ぷらは、おやつ感覚で親しまれた大人気のメニューです。庶民の味として広まった天ぷらですが、実は天下を治める将軍もその魅力に抗えませんでした。江戸幕府の創始者・徳川家康は大の天ぷら好きとして知られ、特に鯛の天ぷらを好んで食したという逸話が今に伝えられています(※注1)。身分を超えて、揚げたての香ばしい美味しさは、あらゆる江戸の人々を虜にしていたようです。
記録に残る驚きの大食い大会
現代のエンターテインメントとしておなじみの大食い大会ですが、江戸時代にもすでに、大真面目な興行として開催されていました。文化14年(1817年)、両国柳橋の料亭「万八楼」で開かれた大会の様子が、随筆集『兎園小説』などの記録に詳しく記されています。
参加者は商人や農民など多種多様でしたが、その胃袋はまさに規格外でした。ある男性は巨大なおにぎり数十個を平らげた後にうどんを何杯も飲み込み、甘味部門では大きなお饅頭を50個以上も完食したという、驚愕の記録が残っています。会場には大勢の見物客が詰めかけ、成績優秀者には豪華な賞品が授与されるなど、大変な盛り上がりを見せました。江戸の人々が、大食いという文化を一つのエンターテインメントとして心から楽しんでいたことがよく分かります。
現代につながる江戸の豊かな食文化
江戸時代の食いしん坊たちが残したエピソードを紐解くと、食を心ゆくまで楽しもうとする、当時の人々の生き生きとした笑顔が浮かんでくるようです。彼らの「美味しいものを思い切り食べたい」というひたむきな情熱こそが、現代の私たちが享受している和食文化の確固たる礎を築き上げました。お寿司や天ぷらをこよなく愛した江戸の人々のこだわりが、今の世界的な和食人気へとつながる豊かな土壌を作ったと言えるでしょう。
次に和食を味わうときは、かつての江戸の食いしん坊たちに少しだけ思いを馳せてみてください。いつもの食事が、さらに深く、物語を感じる特別なものに変わるはずです。
補足事項
- ※注1: 徳川家康は鯛の天ぷら(すり身揚げ等)を食べ過ぎたことが死因の一因になったという説があります(公式記録『徳川実紀』に食あたりの記述がありますが、現代では胃がん説が有力とされています)。
主な参考資料
- 『壬申掌記』
- 『兎園小説』
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「江戸時代に『大食い大会』のようなものはあったか。」