絵が上手く描けるようになるための5つの方法

誰しも一度は、絵が上手くなりたいと思うことがあるのではないでしょうか。絵が上手くなれば、何かを説明するときにも便利ですし、何かの形を作ろうと思ったときにも思い通りの形を作ることができるかもしれません。

絵が上手くなるためにはどうすればいいのか、私はずいぶん苦しんだ時期がありました。私より上手な人はもちろんたくさんおりますが、その苦しんだ時期に発見したことや、今思うことなどを共有できれば、少しでもお役に立てるかもしれないと思い、今回の記事を書くことにいたしました。

 

「この人...話は長いけど何を言ってるのかさっぱりわからない....」そんな人、周りにいませんか?絵も同じで、何を伝えるべきなのか、という要点があるので、それをどれだけわかりやすく伝えるかということが大事になってきます。こう言うと、何か法則のようなものがあってそれを知ればできるかのような気もしてきますが、実はそんなことないのがつらいところです。もしそうなら楽なんですけどね。小説の書き方を教わっても小説家になれないように。ところが、「これだけは言える」というのはありますので、それを5つのポイントでお話したいと思います。

1.よく観察して、手だけ動かすのはやめる。

「描くこと」とはすなわち「観察すること」です。
観察して見つけ出したことを画面に描けば、自ずとリアルになっていきます。
逆に、よく観察せずに手だけ動かせば、それは描きたい対象から遠ざかるだけの作業になってしまいます。
そんな時は手を止めて、何がそれを形作っているかをよく考えて観察すると上手くいきます。

絵を習い始めるとこれはよく言われることなのですが、じっと見つめたら観察してることになるわけではなくて、現実のモチーフと比べて画面の中で「何かウソをついていないか?」と問いただすことが「観察」です。

まず最初のうちは、なにも考えずに近づけていくことだけを考えれば良いと思います。そのうち、やるべきことが多すぎるということで、無限に時間が必要になり、それを整理する必要がでてくるのですが、おそらくその段階まで来る頃には相当上達しているはずですので、最初のうちはそこまで考えなくてもいいかもしれないな、と思います。

あと、「描き進め方」についてですが、影から描き始める、とかあたり線をつけるとかつけないとか、量を意識しながら、とかいろいろ方法はあるのですが、ここにこだわる必要は全くありません。好きな進め方でいいと思います。「進め方」にハマるとめっちゃ悩むことになります。

「観察すればするほど情報量が多すぎて、どこまでも描いていかないといけないと思い、急いでたくさん描いたら、ふにゃふにゃでボヤボヤの何がなんだかわからないものになっていく現象」があります。これは要注意です。というかだいたいそうなってしまいます。

私は剣道はやったことないんですが、とにかく竹刀を振り回して突進しても勝てないのと似ているのかもしれません。

そこで「観察するぞー!って気合をいれて、ドラマの主人公になったかのようにじっとモチーフを見つめる自分に酔ってしまう現象」もあります。ドラマの収録ではないのです。そんなに難しく考える必要もないのです。

焦らない、カッコつけない、この2点です。

2.思い込みを捨てる。

例えば輪郭線について。
アニメや漫画の世界ではある輪郭線(背景と物の間にある黒い線)は現実の世界ではありません。
ただ、明暗の差があるだけなのです。
なぜアニメや漫画に輪郭線があるかというと、単純化しているからです。
そうしないと分かりにくくなりますし、制作時間も膨大にかかります。ただ一部を除いた3DCGアニメの場合は輪郭線はありませんよね。

絵に輪郭線は必要ないということではなく、なぜそれがあるのかわからないまま、
他の作品がそうしているからといって、思い込みで絵を描くとリアルではなくなります。

3.上手く描こうとしない。

え?上手く描こうとしてるのに上手く描こうとしてはいけないなんて!?
なんとも逆説的で禅問答のようなのですが、これがなかなかそうなのです。
なぜそうなのかというと上手く描こうとすればするほど、対象を観察しなくなるからなんです。
表面上のテクニックを追うあまり、本当に伝えたいことが見えなくなるというなんとも皮肉な結果となるわけです。
彼女に野球でいいところ見せようとして三振する、みたいなことでしょうか(ちょっと違う?)

「人物の顔が似てこない」「形がとれない」という悩みもあるあるなのですが、見たものと同じ形にならないのは、誤解を恐れずに言えば、まあどうでもいいんですね。

「顔が似ない」というのは、例えば絵の中で目の位置が0.5mmズレただけで似てなくなったりするんですが、形としてとらえるという観点ではあまり重要ではなかったりします。ただ、ちゃんと観察して描いていけば意識しなくても自然と似てくるとは思います。生物的に顔の特長はシビアにみるというのは自然の仕組みなので、それを意識したい気持ちはわかります。ただそれ以前に頭が平面にぺっちゃんこになっていたりするという間違いを犯していたりするので、それは一旦置いておいてもいいかもしれません。(私は全力で似せて描きます。)

「形がとれない」という点についても、最終的にはカメラがあるんですよね、この世の中。平面的な形の正しさだけを求めるなら、写真を上からトレースすればいいわけです。フェルメール(すごく有名な昔の画家)もやってます。

でもそれが重要ではないのが絵の面白いところであり難しいところでもあります。形を正確にとる、というのは数をこなせばだいたいできるようになることなので、そこはあんまり悩むところではない気がします。早い人で1年毎日描き続ければ、普通は2年~3年くらいかければ、白い紙の上に写真の上からトレースしたような正確な線は描けるようになります。それができると便利なので習得しておいて損はないよ、とは言えます。

しかし大事なのはそこから先なのです。逆に言えば、表現ができるのであれば、そのような技術は必要ない人もいるということです。つまり「人それぞれ」です。

「モチーフの内面にまで迫り、そこにあるかのような現実感まで正確に写し取る」というような超絶描写の域になると生涯をかけて追求するような深い深い道になりますのでそういう道もあるかと思います。

どれだけ自分が上達したって思っても、ピカソのデッサン(←超絶上手い)とか安井曾太郎のデッサン(←超絶上手い)をみると衝撃を受けて、ああ自分って凡人なんだなって思い知らされたりする日々があったりするのですけどね。

絵に限ったことではないのですが、よくわからない人に限って大した差でないのに自分の方が優れているとか、ここがダメだとか語りがちなのですが、本当に表現ができる人はそんな簡単な話ではないことは知っていますので、安易に人と比較したり批判したりしないものです。もしそのような批判があったとしても、落ち込む必要はまったくないわけです。

いい絵悪い絵というのはたしかにありますが、表現の幅は無限にありますので、ひとつの評価軸だけで語るのは慎重になるべきなのです。

「写真に近い」ということは、絵にしてみれば「どうでもいい」ことです。絵としての魅力があるかないかのほうが重要です。そのような上手い下手の基準は、200年前にカメラが発明された瞬間に意味がなくなったのです。

だから気にしてはいけません。

4.上手い人の「描き方」を真似をしない。

人は必ず誰かから影響を受けますし、真似したつもりがなくても似てしまうことはよくあります。ただ何も考えずに上手い人の絵を真似するということは、その人の「フィルター」(デフォルメや簡略化)を通してしまうということにもなります。その「フィルター」はその人にとっては意味のあるものであっても、違う人からすると真に理解することは困難でしょう。それが歪んだフィルターを作り、良くない効果がでることもあるのではないでしょうか。そしてもし間違ってしまったフィルターであれば応用も効きません。人物は描けるけど、動物や風景は描けないということにもなりかねません。それでは絵が上手くなったとは言えないと思うのです。真似をするのなら、「描き方」ではなく「どのように観察しているか」を真似したほうが良いのです。

ただ私もこのようなきれいごとを言われても、いやいや描けないから困ってるんだよ!って思ってました。

デッサンの名人であった印象派の画家、エドガー=ドガはかつて「デッサンはフォルム(形)ではない、フォルムの見かたなのである」と言ったそうです。

つまり、描く人の心を通して現実を表現するということなのです。そこに他人の心や技術が入る余地はないわけです。テクニックに答えはない、のです...。言葉でわかっていてもこれがなかなか理解が難しいのは私も本当にそこで悩みましたし今でも悩んでいるんですが。

5.実は絵は上手くなくてもいい。

もう!なんなの!?タイトルと全然違うこと言ってるじゃない?返してよ!?私の時間返してよ!?

と思われるかもしれません...。そう思われたなら申し訳ないです。

でも実は絵は上手くなくても良いのです。

良い絵とは上手い絵である必要がなく、意識的にせよ意図的ではないにせよ形がコントロールできないからこその面白さ、今までの常識にとらわれずに自由に描くからこその面白さがあることが往々にしてあるのです。ただしこれは絵が下手なことの免罪符ではなく、「絵が下手で、かつ面白くない絵」ということも残念ながら存在しますので、何でもかんでも下手だから良いというわけでもないのですが...。上手いからダメということももちろんありません。ただその技術を過信して、本当の絵の良さを失ってはいけないのです。

絵が上手くなるということは選択の幅を増やすことになります。ですが、必ずしもリアルなものだけが良いとも限りません。だから「実は絵は上手くなくてもいい」ということなのです。

他の人のすごくよくできた作品を観ると、到底敵わないと思うことが私はしばしばあるのですが、絵の上達に関しては終わりがなくて、どこまでも突き詰められるものだとは思います。ですが「自分なりの良さ」(それは絵に限らずですが)に到達するためには、その「上手」かどうかは、一つの側面であるということを忘れてはいけないと思っています。ですので他人と比較するのはあまり意味がないことかもしれません。もちろんただただ上手で美しい絵を描くということも一つの素晴らしい価値だと思いますが。

まとめ

昨今のテクノロジーの発達により、3DCGで作成された人物が実写と見分けがつかなかったり、AI(人工知能)が絵を描くような時代になってきています。一昔前なら人間がキャンバスに向かって絵で表現するしかなかったことも、様々な手段で表現できるようになりました。おそらく、人間がほとんど指示しなくても、創造的な絵画や新しいデザインをAIが制作するようになっていくのは間違いないでしょう。

カメラが普及したときに多くの肖像画家は失業しました。ですが、今でも素晴らしい画家はたくさんいます。

絵が上手、絵が下手というのはそういう意味では「どうでもいい」ことであり、また同時に「絵を描く」ということは意味のあることなのです。実写と見間違うような3DCGの人物にしても、制作するにおいては、何か機械的なスキャンによって得られたデータをもとに自動で作られたわけではなく、骨格や見え方など、手で描くデッサンと同じ考え方が根底にあります。

今回、要点を絞って絵が上手くなる方法の記事として書きましたが、野球の本を読んですぐに野球がうまくならないように、絵も十分に練習することでしか上手くなりません。

ですがすべての人がそれだけの時間をかけて絵を描くことは不可能ですし、どういった絵が描きたいかにもよるかと思います。もし上達したいという場合は、それぞれの人のペースで、絵が描ければよいのではないでしょうか。

最後まで書き終えて気が付いたんですが、この記事はきっと過去の自分に向けて書いていたのかもしれませんね。あの時の私は絵が思うように描けなくて悩み苦しみ、いつまでも不安でした。

もし同じように悩んでいる方が一人でもいて、そして何かのヒントになったのなら嬉しく思います。


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