絵画には画家の人生が宿る!(オーギュスト・ルノワールの展覧会)

(文:ライター SUKE)

絵画とは、「自分の内面を表現するもの」と聞いたことがあります。それは逆を言えば、自分の世界観や経験値、人生哲学といった感性が反映されるものとも言えるのではないでしょうか。芸術や芸能にとって、それを描く者や演じる者の経験や思考は芸に深みを持たせたり、作品に新しい境地を与える大きな要素になっているのだと思います。
そこで今日はフランスの印象派の画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールを通して「絵画の魅力」について考えてみたいと思います。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会


ムーラン・ド・ラ・ギャレット

数年前、友人とふたりで旅行に行きました。帰路につくため駅に向かうと、事故の影響で新幹線が遅延していたのです。すると私に向かって友人が、「ルノワール展に行こう!」と突然言い出しました。彼いわく、近くの美術館でルノワール展をやっていて、最高傑作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』が日本に来るのは初めてとのこと。確かにルノワールの本物の絵を見る機会はめったにありません。しかし私はルノワールという名前や作品は知っていたものの、天真爛漫な明るさが特徴的なルノワール作品に面白味を感じたことはありませんでした。でも急ぐ用事はなく、たまに絵を見るのもいいかと友人の提案に乗ることにしたのです。
会場は大変混雑しており大盛況。人の流れに合わせて歩いては作品の前に立ち、音声ガ
イドで作品紹介を聞く。「ルノワールは、印象派の中でも特に名が知られた巨匠。奔放な筆勢、多様な色彩、豊潤な裸婦の表現、揺らめく木漏れ日による人物や風景への描写で数多くの作品を制作した」などとイヤホンでの音声ガイドが続きます。やはり本物は違いました。
そうして一枚一枚と進むうちに、興味を持たなかったルノワールに私はどんどん惹き込まれていったのです。友人が力説した『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』を前にしたとき、その絵の勢いに圧倒されました。モンマルトルの丘の有名な大衆的ダンスホールの楽しげな雰囲気がキャンバスいっぱいに描かれ、音楽や人々の楽しげな声が聞こえてくるようでした。当初は乗り気ではなかった私ですが、しばらく絵の前から離れられずにいるのでした。

幸福の画家

そして、ある解説の一節が私のルノワール観を一変させました。それは、「悲しい絵を描かなかった唯一の偉大な画家」とあったことです。確かに風景、人物、静物画、どれも陰鬱な絵はありません。ところが華やかさや明るさを描いた一方で、ルノワールや彼の家族の現実は幸福にのみ彩られているわけではなかったのです。貧しい暮らしの上に妻に先立たれ、二人の息子は第一次世界大戦で重傷を負う。自身も晩年、左目視神経の萎縮やリウマチが悪化して手指は変形し、激痛に耐えながら描き続けたのでした。歩くのも困難で車椅子生活。なるほど、その生涯に天真爛漫な明るさは感じられません。晩年のルノワールがキャンバスに向かう映像を見ましたが、リウマチで変形した手指に筆を縛り付け、やせ細った身体ごとで筆を動かしていたのです。
ルノワールは「幸福の画家」と言われました。見る者に幸福を与える画家。自身の言葉に「自然の中にある愉快で楽しい側面を見つけることが絵を描く目的」とあります。そして「風景ならその中を散歩したくなるような、女性ならその人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい」と語りました。最後まで「悲しい絵を描かない」とどこまでも生きる歓びを描き続けた信念が、人々に幸福を与える力になったのかもしれません。

ブージヴァルのダンス

絵画には画家の人生が宿る

ルノワールは自身の暗い人生を陰気に通らず、常に明るい心で幸せや喜びを求め歩んだのだと思います。そういった視点から世界を見ていたからこそ、あのような絵画を描けたのでしょう。絵画には、画家の内面が映し出される、人生が宿るのだと感じました。だからこそ感動が生まれるのですね!


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