写真があるのに写真みたいな絵は必要なのか

「すごい!写真みたい!」

そんな感嘆の声が聞こえることがあります。写真かと思ったら実は絵で描いていました!というような映像をみたときです。

そんな声を聞くと、それは最初から写真ではダメなの?と思ってしまいます。

今回はそんな素朴な疑問について考えました。

 

写真がなかった時代には、写真以外の方法で現実を正確に描写する必要があり、それが絵画の重要な役割の一つでした。現代では自撮りをパチリとスマホで撮ることができますが、当時はそういうわけにはいきません。多くの画家は肖像画を描くことで、収入を得ていました。

ですが写真が発明されてからは、写真と同じものをわざわざ時間をかけて作る必要がなくなってしまいました。事実、写真が発明された当時、一部の画家は写真家に転向したほどです。

写真みたいな絵は必要なのでしょうか。

誤解を恐れずに言えば「写真みたい」な絵は効率が悪いだけです。写真に近づくことが目的なら、写真があれば十分だからです。

では絵画には何が必要でしょうか。それは「写真よりも現実に迫ったリアルな絵」もありますし、「現実の風景とは思えない不思議な絵」もあります。何が描いてあるかわからない抽象的な絵もあるでしょう。

絵画には絵画の魅力があります。写真とは違うことこそが絵画の魅力でもあるのです。

 

芸術的な絵=下手な絵ではない

芸術的という言葉が度々、下手くそな絵を揶揄するような使われ方をされますが、下手な絵だからといって芸術的とは限りません。下手なだけの下手な絵もあります。絶妙な味付けの変わった料理と、まずいだけの料理は違うわけです。そして逆にリアルな絵だからといって芸術的ではないとも限りません。

冒頭の絵画はフェルメールの「絵画芸術」という作品です。フェルメールは、「カメラ・オブ・スキュラ」というカメラの技術の原型となった現象を参考にして絵を描いたと言われています。結局、写真と絵画に違いはなくて、一つの表現手法でしかないのです。どれが必要であるか不要であるかではなく、良い絵を作るためには写真であろうが絵画であろうが関係ないのではないでしょうか。


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