バーネット・ニューマンという画家をご存知でしょうか。バーネット・ニューマンはアメリカの20世紀を代表する抽象画家の一人です。(抽象画=人物画や風景画のように具体的な形ではない、例えば丸や四角など何が描いてあるのか一言では説明がつかないような絵のこと)今回はこのバーネット・ニューマンの作品にまつわるお話です。
今回のお話の作品はもともとは1967年にカナダのモントリオールで開催された万国博覧会のアメリカ館で出品された絵画作品のひとつでした。
1990年、カナダのナショナルギャラリー、つまりカナダ政府がその絵画を176万カナダドル(当時の日本円にしておよそ2億円)の価格で購入すると発表されたのです。その時、マスコミをはじめとした世論の一部が大騒ぎになります。いわゆる「炎上」が起きたのです。そして皮肉にもその絵のタイトルは Voice of Fire つまり「火の声」です。
当時、他にも購入が決定された作品もあったのですが、Voice of Fire だけに「炎上」が起きた理由、それはその絵画には「ほとんど何も描かれていなかった」からでした。つまり「シンプル」すぎました。青、赤、青という順番で色が均等に3つ配置され、その色も濃淡があるわけでもなくただ平坦に色が塗られた、とくに何かが描かれているわけではない、いかにも「簡単に」描けそうな絵だったのです。(下のイラスト参照)そんな絵に約2億円もの税金が使われるなんて…ということで大騒ぎになったわけです。
さらに悪いことに買収後、絵が設置されたのですがそれが上下逆であったことがさらなる炎上を巻き起こしました。(上下逆でもほとんど変わらない絵なんですが…)
この騒動は私たちに絵画の価値とは何かを考えさせられます。
きらびやかな人物、夢のような美しい風景、あるいは複雑で不思議な形が幾重にも重なったもの、おそらく当時の批判的な人たちにとって、価値のある絵画とはそういうものだったのでしょう。炎上の内容はようするに、「そのような単純な絵に2億円の価値があるはずがない!」といったところではないでしょうか。
芸術作品とは一体なんなのか
では芸術作品とは例えば工芸品や飴細工のように、巧みな技術をもって作られなければならないのでしょうか?
これは人類の歴史の中で、ある時期までは真実でした。つまり絵画や彫刻は、超人的な技能によって支えられていたのです。そうでなければ表現できなかったから、高度な技能が必要でした。しかし写真が発明されたことによって、一瞬でリアルなイメージを平面に定着させることが可能になりました。
また現在では彫刻でさえ3Dプリンタによって、正確な描写ができるようになってきています。つまり技術の発達によって、今まで一部の人でしか実現できなかったことが誰でも簡単に実現できるようになってしまったということです。
そうなったときに美術の世界では、巧みな技術かどうか?という議論に意味がなくなってしまったのです。どんな技術にせよ、道具を使って作品を作る以上、高度な機械であろうが、鉛筆や筆であろうが、それが道具であることに変わりはないですし、使ってはいけないというルールはないからです。
では芸術作品とは複雑な形でなければならないのでしょうか?
シンプルなイラストが芸術性が低く、複雑な絵、例えばリアルな肖像画のようなものの方が芸術性が高いのでしょうか?それもなんだかおかしいですよね。それだけではどちらが良いとは言えないはずです。
そんなの誰でも作れるよ!という主張もおかしな話になります。なぜならモナリザであっても複製画を作れば、もっと言えば写真を撮ってしまえば本物とほぼ同じものが作れるからです。誰でも作れるというのは、結局みんなそうなのです。
以上のことから、バーネット・ニューマンの Voice of Fire は、「簡単そうにみえてシンプルだから価値がない」というのはおかしいという話になります。
美術作品の価格とは需要と供給で決まりますので、高いから美しいというわけではないのですが、それが作家によって作られた「本物」である、というのも価格の要因になります。ですから高い高くないという話は置いておいて、2億円という価格になるわけです。(もっと言えば投資の対象となったり、資産としての絵画になったりで価格は決まるそうですが)
ちなみに今では、Voice of Fire の価格は少なく見積もっても5000万USドル(2017年の為替でおよそ55億円)以上にはなるだろうと言われています。みなさんはどう思われますでしょうか。良い買い物だったのか悪い買い物だったのか、考えてみるのも面白いかもしれませんね。
Voice of Fire(火の声)